☆ 役者か舞台か


主語とは


 英語もスペイン語も四六時中、文の主語を考えている。英語母語話者、スペイン語母語話者の脳の中ではほぼ無意識にだが。主語は演じる役者だ。彼らの脳の中では演劇をしている役者は誰かということにいつも注意が行っている。「誰が」ということが常に最初に問題になる。

 一方で日本語母語話者の脳は演劇の舞台がどういう状況になっているか、そのイメージをいつも思い浮かべている。舞台上で起きている状況がまずは重要なのだ。

 「緊迫した状況になってきました。」という表現の主語など日本語では考えない。「事態」かも知れないし、「試合の展開」かも知れない。でもそれを決めたりはしない。 川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という名文の主語は何かなどと考えない。「抜けた」のは勿論、列車であり、列車に乗っている自分でもある。しかしどちらなのだとは考えない。この文を読んで頭に浮かぶのはトンネルをまさに抜けて視界が広がり周り一面雪に覆われている状況だ。

 一方、英語やスペイン語では主語を決めないことには文が作れない。

 このように、英語やスペイン語と日本語では「主語」に対する扱いが全く異なっている。だからこそ、日本語母語話者には英語やスペイン語での「主語」という概念がなかなか掴めないのだ。

英語とスペイン語の「主語」の示し方の違い


 他方、英語とスペイン語では「主語」の示し方に大きな違いがある。 

 英語は主語は主語を明示することで表す。当たり前のように聞こえるだろうがスペイン語ではそうではない。

 英語は長い年月の中で、主語の情報を動詞の変化形でも示すことをやめてしまった。幾つかの名残だけが残っている。その代表的なものはいわゆる「三単現の "s"」だ。動詞の最後に "s" があれば主語は「三人称単数」で、時制は現在であることが分かる。主語は何かという情報がこの "s" で示されているわけだ。 このほかに be動詞の変化にも名残がある。 "am" であれば主語は「一人称単数」で、時制は現在だ。ただし、これはもう名残であって、英語では必ず主語を言うことになっているので、動詞の変化形で主語を示す必要はなくなっている。

 他のロマンス語系の言語もそうだが、スペイン語では主語は何かという情報が動詞の変化形によって示されている。スペイン語の動詞の形を見れば「主語は何か」「時制は何か」という情報が得られる。動詞の変化形にこのような情報が盛り込まれているので、あえて主語を明示しなくてもよい。動詞の変化形の情報だけでは足りない場合や主語を強調したい場合にのみスペイン語では主語を明示する。

 要するに英語では動詞が抱える情報量が減ってしまっており、スペイン語では動詞が抱える情報量が昔のままだということだ。 

スペイン語には英語の主語 "it" に対応する代名詞がない


 明示された主語で主語を表す英語と、動詞の変化形に主語情報を含ませているスペイン語との違いが顕著に表れているのが、英語の場合に主語を示す代名詞 "it" だ。 スペイン語にはこれに対応する主格人称代名詞はない。

 英語の場合に主語人称代名詞 "it"は、「まだその素性が何かよく分からないもの」や「主語をはっきりと想定しにくい時の仮の主語」として使われる。英語ではとにかく主語を明示することが必要なので "it" の出番は多い。一方スペイン語では、「まだその素性が何かよく分からないもの」や「主語をはっきりと想定しにくい時の仮の主語」はそもそも主語が確定できないのだから何も言わない。一方でそういった抽象的なものは「三人称単数」であると前提して動詞の変化形は「三人称単数」として処理している。

   It is interesting.
   Es interesante.

「面白い、興味深い」の主語は何か?それは目の前で起きていること、今聞いたこと。英語では "it" で表さないわけには行かないが、スペイン語は主語を示す必要はないと考え、ただし動詞は何れかの形にしなければいけないから「三人称単数」の変化形で示している。